特別寄稿

稲森亘航海日記

「稲森亘・航海日記」の著作権は「稲森亘」氏に帰属します

 

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 稲森亘航海日記

■1:新米通信士

■2:8千屯の貨物船

■3:新米局長

■4:ペナン島で・・

■5:パイロット・・

■6:太平洋の真ん中・

■7:父の死は

■8:ウミネコ売りと・

■9:マダカスカル島に

 

【太平洋の真ん中で、鮪の商売 】

第六話

 ペナン港を出航した本船は、えびを積んで一路マダカスカルに停泊している冷凍船(2隻、えびの冷蔵庫として、停泊し、港に固定されている。8,000屯)に向けて航行していた。

 出航して、1日が過ぎただろうか?船長が無線室に入ってきた。

  「局長、海上で、韓国漁船から鮪を買い取ることになった。そこで、本船と、鮪漁船が海上で遇う事になったが、無線で、お互いの位置を確認しながら、航行した い」

 私、「洋上で落ち合うのですね、漁船はこちらの動向を知っているのですか?」

 船長、「うん、既に鮪船の方は、こちらに向かっているはずであるので、お互いの位置を確認しながら近づきたい。それには、無線で連絡を取りながら漁船にあいたい」

 私、「分かりました」

 船長は周波数を私に教えたのか、それとも、500 KHzで私が呼んだのか、もう覚えていないしかし、互いに連絡をとりながら近づいていったと思 う。

 連絡を取り合いながら、お互いに近づきあい、そして、洋上で落ち合うまでには、ほぼ1日はかかったろうか?船長が、

「局長、鮪船が目視できる距離まで来たので、もう無線での連絡は取らなくてよい」と連絡してきた。

 無線室は、ご存知のように船の船橋の裏側にある。いわゆる一番高いところに位置する。無線室をでて進行方向の斜め左よりを見ると、あの、ズックリムックリとした、言葉を変えて言うなら、背の詰まった小太りした白い船体が見えてきた。

 海上は、遠いので、目視しても、接船するまでには、相当に時間がかかる。私は、無線室に入った。船長がまた、無線室に入ってきた。

 「局長!すみませんが、計量係を担当してください」

と言ってブリッジに帰っていった。

 合羽を着た私は、船のデッキに向かった。そこには、カゴと例の、重りを載せ変え、計量目盛りを真ん中に食べこんだ円錐型の重りを目盛りに沿って左右に動かせる

「はかり」、そう、昔は、この「はかり」で学校で児童が体重を計ったあの秤である。ーーーが置いてあった。その上に手板があったと思う。

 現場に着くなり、あれは、甲板長であったと思うが、・・・

  「局長!、鮪が、ここに並べられると思うが、直ぐに計量しないように、ホースで鮪に水をたっぷりと時間をかけてまき、氷を溶かしてから、秤に乗せて計量してくださ い」

  「あちらは、鮪に氷を3cm以上つけて、凍らせていますから・・・」

 初めての、商売であり、私は、しばらく意味を理解できなかったが、次からつぎへと、私の前に並べられる鮪は、分厚い氷の服を着ているのを見て、「ああ、そうか」と理解した。

私は、別に、鮪の衣装が3cmの厚さがあっても、関係ないことである。商売をするのは会社である。しかし、必要以上に、冷凍マグロの氷で覆われた、厚さに、商

売気がでて、ゆっくりと、ユックリと並んだ鮪に、ホースの水をかけ、必要以上な時間をかけて、計測を始めた。敵もさる者、いらいらしながら、氷づけの鮪を必死に、秤

に乗せようとする。想像していただけるだろうか!言葉も、生活も違う者同士の、必死の戦いを・・・。いや、言葉が通じないのが幸いである。通じれば、怒鳴りあって

いるかもしれない。・・・どちらかと言えば、喧嘩が嫌いな方では無い私の性格、むしろ楽しんで駆け引きをしていたような気がする。

 鮪の売り買いの商売の時は、静まり返った戦争であったが、鮪を冷凍室に運び終わり、船長が代金を支払えば、後は、人間同士、和気藹々となるものである。

 当時、日本船の積んでいる個人的仕込は、世界の人々に喜ばれていた。これは、タンカーでカーグ島に入港した時の話であるが、 ---

私は、近くに停泊している'ソ連船'の無線室を訪問した。そのお返しに、ソ連の通信士が2名本船を訪れた。彼らが、連発するのは、「オオ!ソニー」である。

日本のタバコも珍しがられるので、例の青いパッケージのハイライトを上げた。彼らは大喜びである。ただ貰うのは悪いと思ったのか、ソ連製のタバコを数本返した。

 余談ではあるが、当時、女性を船に乗せているのはソ連船だけでは無かったろうか?(その他の国の船はあまり私は知らない)その女性が、この鮪船の肢体のように

ズングリむっくりである。私が感じるのは、若い女性船員でもやけに太いのである。小太りという域ではない。我々は男ばかりであるが、ソ連船からは、男女が下船して

くるのである。羨ましかった。 −−−

 話が、飛んでしまったので、もとに戻そう。さて、商売が終わった我々は、今度は、物ぶつ交換が始まるのである。彼らは、鮪を追いながら、恐らく本国には帰らず第3国で商売をしているのだと思う。だから、品物には相当な執着があるらしい。私は、当時、インスタントラーメン(恐らく、当時においても、どの国よりも美味しかったと思う)を1箱彼らに渡し、自分は交換して欲しいものが無いので、韓国製のシャツと交換したと思う。

 すでに、商売の時のような、殺気立った空気は消えていた。和やかに、国際交流をしているのである。しばらくして、彼らは、自船に帰り、我々は、汽笛を合図に、別れを告げた。そして、見る見る間に鮪漁船の白い(と言うよりは、鉄さびが目立っていた)船体は豆粒のようになっていった。

 冷凍運搬船、本船の通信士は楽な仕事である。一日に数回 Faxで新聞と天気図をとるのが主な物で、電報は1ヶ月に1通あるか無いかのものである。入港する

と代理店から本社の情報が船長に伝えられる。

 出港してから、社線連絡も取らず、のんびり構えていた私であったが、別に本社から何も言ってこないのは、こんな理由からかもしれない。目的地、マダカスカル島へ

の航海に少しの道草を食ってしまったが、私にとっては、このような、航海が、ピストン航海よりも性に合っているのかもしれない。

  次回は、 ---赤道の上で、父の死を知る。それから私は、1日中、背広を着て、ダンヒル(青箱)を絶やさず・・・---  をお送りします